大阪でも宝くじ売り場では、多くの方が宝くじを購入するために
利用されているのですが、あまり購入者が多くない売り場であったり
目立たない場所にあるときには、幟を用いて
出ましたアピールを行ってみるとよいでしょう。
大阪においても、注目度の高くない売り場の場合、
たとえ当たりの宝くじが出たとしても購入者が集まりません。
この時、幟を設置することで、大阪の当たりが出る売り場であることを
よくアピールできるようになるのです。
大阪の宝くじ売り場に設置する幟については、何等が出たのか
明確にしておくことで、多くの方の注目を集めることができます。
大阪でも宝くじを購入する方は、出来れば当たりを当てたい
という強い気持ちを持っています。
ですから、当たりやすい売り場であることをアピールすることで、
購入者を増やしていくことができるのです。
目立ちにくい場所にある時には、出来るだけ目立つ配色や
大きさの幟を設置することで目立つようになり、大阪においても
売り上げを伸ばしていくことができるでしょう。
日本と世界の宝くじ!その始まりはいつ?どこで?
紀元前500年頃、古代ギリシャではクジで公職者を選出していました。政治の腐敗による汚職を防ぐためだったといわれます。クジで政治家を決めると聞くと驚いてしまいますが、現代でも選挙の投票結果に、民意が反映されるとは限りません。現代の日本の裁判員制度では、任意で裁判員を選出しているので、クジの一種で決めているようなものです。
古代ギリシャでは誰がクジで選ばれるかを当てる、賞金がついた賭けもおこなわれていました。宝くじの原型ともいえるでしょう。近代のような宝くじになったのは15世紀のオランダで、要塞の構築や町の建設などの資金集めに宝くじを発行した記録が残されています。
日本の宝くじのはじまりは寛永元年(1624年)ころ、現在の大阪府にあたる摂津国(せっつのくに)にあった箕面山(みのおさん)瀧安寺で、正月に行われた富会(とみえ)が始まりといわれます。元旦から7日までに参詣した男女が名前を書いた木札を唐びつに入れ、7日に寺の僧が3人の当選者を選び福運のお守りを授けたのが始まりといわれます。
瀧安寺のくじはお守りを授けただけでしたが、その後、金銭と結びついた富くじが庶民から人気を得ます。あまりの人気に徳川幕府が禁令を出したほどです。その後、富くじは幕府公認となり、寺社で行われていたのです。
近代日本での宝くじのはじまりは戦時中の昭和20年7月、勝利への願いを込めた「勝札」として発売されたのですが、抽選を待つことなく8月には終戦になるのです。そのため日本最初の宝くじは「負札」とも呼ばれています。