売り上げをアップさせたい大阪のお米屋に大切なのが、
いかに魅力的なお米なのかという事を大阪のお客様に知らせる事です。
では、大阪でお米のアピールをする為にはどういった要素を
前面に出せば良いのかと言いますと、例えば○○産という事を
アピールしてみるのも良いのではないでしょうか。
日本国内には色々な産地がありますが、特にブランド米を
作っている産地は人気がありますし、○○産という具合に
宣伝する事によって、大阪の人に対し魅力的なお米に
見せる事ができます。
では、どんな方法で宣伝をすれば良いのかという事ですが、
便利なのが幟です。
よく大阪でも店先などに配置されている幟ですが、ミニタイプも
ありますので、店内にも配置する事ができます。
そして幟は視認性が良いという魅力があります。
一目で伝えたい事が伝わりますし、○○産をアピールする為にも最適です。
また、幟はリーズナブルに導入できる広告ですので、
大阪のお米屋においても気になるコストが大きく掛かるような事もなく
安心です。
お米といえば米騒動!騒動の発端を知っていますか?
1918年7月22日に富山県魚津港に寄港していた伊吹丸への米の搬入を地元の主婦たちが阻止しようとして騒ぎになり、この騒ぎに触発された地元の住民たちが地元へのこれらの販売を求める集会を始め、それを阻止しようとした警察と衝突したり、販売業者に押しかけました。
地元の住民たちは相場より安価な金額でそれを販売させることに成功しました。第一次世界大戦から始まった戦争特需の結果、都市部の人口が増加しました。
結果、農業をやめる人も増え、国内の米の生産量は減少しました。加えて、第一次世界大戦の影響で米の輸入も減ったため、日本国内ではこれらが不足にするなり、米を販売する業者の売り惜しみも重なり価格が暴騰していたため、米が買えない人たちは実力行使に及びました。
また、富山での出来事は新聞で全国に伝わり、同じように米を買うことのできない人々は実力行使を始めていきました。全国的な騒動となったのでこれを米騒動と言います。
これに対して政府は米の価格を抑制するための施策を実施したり、外米を輸入して米の価格が下がるように誘導しますが、結果は価格の抑制に繋がることはありませんでした。
米の価格は1918年7月22日の頃の価格に戻ります。しかし、国民の所得が増えていたので、2度目の米騒動に繋がることはありませんでした。