東京近郊の温泉街ならではの悩みと言えばライバル店の存在です。
温泉街には沢山の旅館やホテルがありますが、それぞれは
ライバル店として営業をしています。
それゆえライバル店にどんどん東京からのお客を取られてしまう事も
あるものですが、なかなか東京近郊でも客足が伸びない時には
アピールして魅力を宣伝する事が大切です。
例えば、東京近郊の旅館やホテルの中には日帰り入浴を可能に
しているところもありますが、宣伝しない事には日帰り入浴が
可能な事を知ってもらう事はできません。
その為、客足を伸ばす為にもどんどん宣伝をする事が大切ですが、
その方法として幟を導入してみるのも良いと言えます。
東京近郊の温泉地の場合、東京から簡単に日帰り入浴を
楽しめる利点があるので生かすべきです。
幟に「日帰り入浴可」と印刷して立てておくだけで簡単に
宣伝する事ができますし、尚且つ幟というのは
人目を引き易い存在です。
やはりゆらゆら風に揺れている幟というのは気になるものですので、
無意識にでも見る方が多いのです。
一度でも見てもらう事によって簡単に宣伝ができますので、
非常に優秀なアイテムと言えます。
温泉発見功労者 弘法大師と坂上田村麻呂はなぜ温泉を見つけたの?
温泉の歴史は古く、縄文時代の温泉らしき遺跡が見つかった例や日本書紀などにも記載があると言われています。
病院がなかった時代温泉は療養の場として機能しており、仏教が庶民に広まって行った鎌倉時代には僧侶は医師の役割も果たすようになっており、寒村を巡って布教する傍ら病人の治療も行っていました。
その際に治療施設として温泉が役立ったことから、村落の付近で湯治場にできる温泉が次々に見出されて行ったと考えられています。そういった背景もあって平安~鎌倉時代に全国各地で数々の開湯伝説が生まれ、弘法大師が杖で叩いたところから湯が噴き出したなどの逸話が伝えられるようになりました。
大半は弘法大師本人でなく弟子や信徒らが発見したものと考えられていますが、関東から西日本にかけて広範囲に弘法伝説がある温泉が多数あります。
東北地方では征夷大将軍として都から進軍してきた坂上田村麻呂が発見したと言われる温泉が多く、治水や新田開発など開墾を進めて行った屯田兵らの疲れを癒した温泉が、今に伝わる湯治場になり多くの人が訪れる観光地にもなったと考察されています。
温泉は戦国時代には野戦病院としても機能していたことから、傷の回復を早める温泉などには武将の隠し湯といった伝承があり、全国各地に点在しています。