全国には、地域住民から愛されている和菓子屋さんが沢山あることが
知られていますが、いろいろな消費者に季節のお菓子をアピールする
ためにも宣伝の方法にこだわってみることが良いとされます。
そうした中、のぼり旗を用いて商品の魅力を伝えようとしている店舗が
目立っており、特に購入をする商品に迷っている場合などにも
もってこいの宣伝効果があるといわれています。
インターネット上では、和菓子屋さんに取り入れることのできるのぼり旗に
関して様々な立場からの情報がピックアップされているため、少しでも
顧客の数を増やしたい場合には十分に研究をすることが求められています。
のぼり旗の購入価格に関しては、数千円から数万円程度まで
幅広いことから予算に見合ったものを中心として探すことが大切です。
季節のお菓子の収益は、多くの和菓子屋さんにとって非常に重要な
ものとであるためこれからもより宣伝効果の高いものを見極めることが
望まれています。
和菓子の成り立ちや歴史は?茶道・喫茶の流行でブレイク!
日本の和菓子の成り立ちは奈良、平安時代頃から始まります。遣唐使が唐から持ち帰ったものに、唐菓子(からがし)がありました。米や麦、大豆や小豆の粉をこねたり、油で揚げたもので、祭祀などに用いられました。この唐菓子が、和菓子に影響を与えたといわれます。
さらに和菓子が広まるきっかけになるのは、鎌倉時代の喫茶の流行です。1191年 鎌倉時代初期、大陸の宋に禅宗を学ぶため渡った臨済宗の開祖栄西(ようさい)が、抹茶を楽しむ喫茶文化を持ち帰り、日本に伝えたのが茶道の始まりといわれます。まず禅宗の寺院に喫茶文化が広まり、武士の階級にも広まっていくのです。
室町時代の茶の席では定時の食事のほかに点心と呼ばれる軽食があり、羹(あつもの)という汁が出されていました。48種類の具材を使った羹があり、そのなかに羊の肉が入った汁の羊羹がありました。その頃の日本には、獣の肉を食べる習慣がなかったため、羊の肉に似せて小豆の粉や麦をかたどって入れた汁物が羊羹の始まりです。寒天が使われるようになるのは、江戸時代寛政年間の1800年頃のことです。
茶の席の菓子には、煎餅や打栗、栗の粉餅、千利休の茶事にも登場するフノヤキなどがあり、和菓子の発展につながります。その後ポルトガルやスペインから南蛮菓子が伝わった、金平糖やカスティラ(カステラ)は和菓子の原型になるのです。
江戸時代に入ると江戸では桜餅や大福、金つばやせんべいなど、現在も食べられている和菓子がつくられます。町人や武士などの一般庶民も和菓子を楽しむようになります。京都の京菓子と江戸の上菓子が競い合い、さまざまな優れた和菓子が誕生するのです。