マラソン大会で使うのぼり旗には、複合的な効果があるため状況に応じて使い分けることができます。
大学や企業などのチームで行われる大会の場合にはのぼり旗を使うことによって士気を高めることができるのが利点です。
実際に持つのはマネージャーなどの裏方の人であったり家族や後輩たちであったりします。
こうした活動を行うと、選手と応援する側の人間の気持ちが通じ合うことになりますから、成績へ与える効果も大きくなる場合があります。
チームで行う場合はチームカラーや今年のスローガンをインクジェットプリントにて染色する場合ほとんどえす。
マラソン大会運営ののぼり旗シルクスクリーンで大量製作
もう一つの目的では、広告としてのぼり旗を使用して
マラソン大会の日程などを知らせることも重要になってきます。
自治体などが主催する場合には、役場などの入口付近に置いて
開催日の前から大々的に掲げる場合も珍しくありません。
この方法を使う場合には、特別に多くの人材を動員する必要がなく
手入れの手間を省けることが利点になります。
企業が協賛する場合においても、広告の意味合いもあるのぼり旗を
マラソン大会で使うことも利点になります。
マラソン大会のコースにおいて、のぼり旗が多く掲げられるように
なる場合には宣伝や応援とは違った意味合いも生まれてきます。
のぼり旗を持つ人が多くなると、風によって布が大きく動くことで
風速も把握できるようになることが重要です。
地形的な影響で風が強くなりやすい場所であれば、のぼり旗が
あることで目印を作ることができるのです。
風によってのぼり旗の存在感も強くなるため、実際には
視覚的な効果も高くなります。
発祥の地は神戸?それとも群馬?日本のマラソンの起源
さて、日本におけるマラソンの発祥の地は神戸であると言われています。1909(明治42)年に湊川埋立地(兵庫区新開地)から西成大橋(淀川大橋)までの31.7kmをコースとして「マラソン大競争」が行われました。
一般公募の400名を超える応募者から選ばれた120人が予選に参加し、予選を勝ち残った20名が走りきりました。このイベントが日本で初めて「マラソン」という言葉を用いたとされています。
このことにちなみ、2011年に同地でマラソン大会が創設された際、スタート地点となった市役所の一角に記念碑が建てられました。茶色の御影石に5人のランナーの姿がくり抜かれており、台座には「日本マラソン発祥の地」と刻まれています。
なお、群馬県安中市も日本のマラソン発祥の地とされています。その言われとなっているのが、1855年 侍マラソンです。
これは、安中藩主が藩士の鍛錬を目的に、藩士に約28kmの徒歩競走をさせた遠足(とおあし)と呼ばれた行事です。日本で初めて組織的に記録を競う形式で行われた競走とされています。
そこで群馬県安中市も「日本マラソン発祥の地」とされ、「日本マラソン発祥の地」及び「安中藩安政遠足之碑」という2つの碑も建っています。