のぼり旗のパーツ「チチ」とは
※チチのことをチギリとも言います。
オリジナルののぼり旗を作成する時には、旗をポールに取り付けられるようにするためにチチが必要となります。
「チチ」とは、のぼりを竿に取り付けるために縫い付けるループ状の布です。
これはリング状の生地で、ここにポールを通すことでのぼり旗をしっかりと設置できるようになります。
ちなみに、これはのぼり旗の左側に付いているのが一般的な形ですが、右側に付けたい時には相談すると対応できます。のぼり旗のデザインだけでなく全体のデザインに凝りたい時にはお願いすると良いです。
チチはのぼりの左右どちらかの辺と上辺に取り付けられます。
基本は左チチ(上3つ、左5つ)ですが、弊社ではサイズや設置場所に合わせてお客様にチチの数や場所をご指定いただけます。
のぼりのどちら側にポールを取り付けた方が目に留まりやすく通行の邪魔にならないかなどを考慮し、チチの場所を決めると良いです。
チチの場所指定は使うときの状況を想定して行う
オリジナルののぼり旗を作成する時には、チチの数を指定することもできますので覚えておくと良いです。定番の形は上部に3つと横に5つですが、使用する状況に合わせて耐久性を重視した作りにしておくのも手です。
耐久性に乏しいのぼり旗では、せっかくオリジナルのデザインで作成しても良い宣伝ができませんから注意しておきましょう。
のぼり旗は屋内で使用する場合には良い状態を維持しやすいですが、屋外の風が強い場所だとそうはいきませんので耐久性を高めておくことが大切です。
左チチは慣例なの?
よくあるお客様からの質問で「左チチ右チチどちらにしますか?」とお聞きすると「どちらが一般的ですか?」とあるのですが、当社では左チチとお答えしております。慣例と思われがちですが、理由があります。それは日本の自動車は左側通行(道路交通法〈昭和三五年 六月二五日施行〉第17条第4項)だからです。
のぼり旗は本来目立たないといけないです。車が走っている際によく見えるように左チチ仕様のほうが車から見た時にわかりやすい、そういった意味ではまだ左チチが通例になったのはたった60年程度です。
ちなみに、のぼり旗のチチの由来は、その言葉の通り乳(チチ)からきています。人のというよりイヌの乳に似ているところからそう呼ばれるのが由来となります。こういう風にいうと形が似てたともとられがちですが、犬の乳首のように行儀良く並んでいることからそう呼ばれました。
のぼり旗の歴史を辿ってみましょう
のぼり旗は遥か昔から日本でも使用されていますが、日本の旗の起源は卑弥呼が納めていた時代と言われています。その理由は魏志倭人伝の中に、魏の国を治めていた皇帝から、耶馬台国の地位を保証するための印に贈り届けた戦旗という記載があるからです。
日本の書物としてはかなり古い日本書紀にも登場していますが、戦のときに使用する旗としてではなく、信仰的な意味で使用されていたと書かれています。他にも万葉集という古い書物にも登場しており、万葉集で初めて旗という呼び方で登場しています。この当時は手長旗という物を使用していました。
大和時代には天皇の即位など、朝廷の行事によく使用されていました。戦いに登場する旗として有名なのは、やはり源氏と平家の戦いでしょう。源氏の白旗に平家の赤旗と言えばかなり有名で、現在小学校などで使用されている赤白帽子の基になっていると言われています。
もちろん運動会の赤組や白組も同様なのですが、最近は他の色も導入されるようになってきました。平安時代は源氏と平家以外にも、藤原氏や橘氏などがいましたが、藤原氏は水色、橘氏は黄色となっています。これは中国の五正色旗が関係しているのです。
応仁の乱が発生する少し前になると、竿先に横棒が添えられており、長く流す旗から少し形式が変わってきます。応仁の乱と言えば、当時都であった京都の街を焼け野原にしたほどの大規模な反乱であり、戦国自体の幕開けになりました。
室町幕府の将軍は地に落ち、権力が失墜していくのですが、この戦乱の時代にもいろいろな種類の旗が使用されています。戦国時代はたくさんの大名が天下布武へと乗り出してきたことで、自分の軍勢であることがわかるようにのぼり旗形式が主流になったのです。
当時ののぼり旗は乳付き旗とも呼ばれており、行儀よくきれいに列をなして並んでいるので、犬の乳首のようだと言われたことからこのような名前で呼ばれていました。他にも耳付き旗という言い方もありました。
大きな戦いがあまり起きなかった江戸時代の末期になって鎖国が解かれると、外国からもいろいろな種類の旗が日本でも使われるようになりました。スポーツや軍隊、国の象徴としても使用されています。祝日になれば国旗を掲げてお祝いすることもありますし、オリジナルの旗を作って掲げる人もいるでしょう。優勝旗のように、大きな大会で活躍した選手に贈られる物としても使われており、昔に比べてかなり使用用途が広くなったと言えるでしょう。
のぼり旗にはそれぞれ意味が込められている
普段何気なく掲げているのぼり旗にも、実はいろいろな意味が込められているのです。のぼりというのは、情報を相手に伝えるために使用されていました。戦国時代であれば味方の軍勢なのか、敵の軍勢なのかを見極める目印となっていましたし、新たに別の軍勢が到着した場合には、味方の援軍なのか敵の増援なのかを判断していたのです。
なぜ敵か味方かがわかるのかというと、のぼりに自分の家の家紋が書かれていたからです。しかし、それ以前の時代はのぼりの色で敵か味方かを判断していました。平家と源氏が衝突した中で、最も有名な壇ノ浦の戦いでも、源氏が白ののぼりで平家が赤ののぼりとなっていましたが、平安時代は貴族が中心の時代で、武士の数はそれほど多くなかったため、家紋で知らせる必要がなかったからです。
のぼりの形も源平の時代は縦型の物が一般的で、上の部分だけが固定されているという物でした。戦国の世となってから今のような形式に代わっていったのです。現在では商店街や繁華街などに、大売り出しや大特価などといったのぼりをよく見かけることがあるでしょう。これも顧客を自分の店に呼び込むために使われています。うちの店では安い価格でお得な商品が買えますと、道行く人々に情報を伝えているので、使い方は変わっても意味はそれほど変わっていません。
しかし、現在はのぼりと旗では別の意味になっているのです。のぼりは今まで紹介してきたように、相手に情報を伝えることが第一の目的でしたが、旗はシンボルとしての意味合いが強いと言えるでしょう。国旗もその1つですし、校旗や軍旗などもあります。国旗は国の象徴でもありますし、校旗は学校のシンボルなので、個人というよりも団体のシンボルとしての意味が強いでしょう。
中には優勝旗や大漁旗のように、何かを達成したことを意味する物も存在しているのです。ここで旗とのぼりの意味や目的を比較してみたいと思います。
現在のぼりは集客を目的に使用されているのが一般的です。このような商品を取り扱っている、通常価格よりも安いということを店頭で知らせることにより、不特定多数の人の目に留まるので、即効性の高い目印となっています。
もしのぼりを作る場合には、比較的安い価格で作成することが可能です。旗は団体のシンボルとして使用されており、集客ではなく周知させるために使われています。作成する場合には、のぼりよりも高価になる場合が多いでしょう。ただし、どちらも何かを伝えるという意味では同じだと言えます。